・製菓/製パン設備の製造販売 ・自社設備で製造した薄型生地(ピザ、トルティヤ等)の販売
現在、従業員は19名。
代表取締役 小宮賢治様
祖祖父の代、戦前に佐賀県で飴製造販売を開業した。父は東京オリンピックの頃に製菓学校に通い、当時最先端である洋菓子を習得、その後、洋菓子店に勤め、その技術を見込まれ洋食企業に誘われ、日本でほぼ初のピザの販売にも携わった。この経験を活かし材料問屋の営業に転職、そこで、あんこ入り餅の製造設備に出会い、感動。材料問屋で材料とこの製造設備を販売、最初は九州、その後拠点を大阪に移した。
50年前の1973年に独立創業。拠点も出身の九州に似た田んぼや山がある生駒に移した。当初は製菓機械の販売代理店だったが、顧客の要望に応える機械を自社で製造するようになっていった。
約30-40年前、先代が北京ダックの皮である「パオピン」に出会い、ほれ込んだ。自動化製造できるところが日本になく、市場もない。「売れるんか」と言われながら設備を作り上げた。難しい装置だった。技術と挑戦心がある人が集まり切磋琢磨する環境だったから、なんとか完成できた。しかし開発投資が巨額になりすぎ、設備を販売するにも値段をつけられなかった。
そこで、装置を使って生産した商品の販売に注力することにし、食品販売の会社として平成4年にコミヤンフーズを創業した。生産した生地はタコス生地などにも使えたが当時はまだ市場がなく、市場を作るところから始める必要があった。一度大手からのお声がけがあり、生産量増大に向け工場建設に着手するところまでいったが、そこで急遽撤退が決定したこともあった。そのときは倒産の危機であった。
薄いピザ生地が居酒屋に使われるようになってきて徐々に軌道に乗ってきた25年前、60歳になった父より事業承継した。当時30歳だった。
大きな苦難は約5年前。コロナを機に売り上げが激減、前後して従業員が相次いで辞めた。
現在、売上はコロナ以前を上回っており持ち直しているが、従業員は足りていない。製造に携わる人が少なく、大口の需要があるといっぱいいっぱいになってしまう。