概要

業種

鉄の切削加工・研磨仕上げ

農機具の油圧ユニットや自動車ステアリング部品の仕上げを担当

規模

従業員数 約20名

お話をお伺いした方

代表取締役 結城智宏様

これまでの歩み

創業からの経緯

金属加工には、「川上」と「川下」がある。川上は、旋盤やマシニングで形を作る仕事であり、寸法精度は0.05mm程度。その後熱処理で硬く仕上げ、研磨して精密な寸法を出すのが川下の仕事。精度は0.005mm(5μm)になる。

長尾研削はもともと川下にあたる研磨の仕事だけを行ってきた。創業は1970年で、最初の仕事は自動車のステアリング部品の仕上げだった。いまでも研磨には愛着があり、社名から「研削」を外すことはないだろう。

2000年頃に、川下だけでなく川上まで自社で行えるように設備を整えた。

理由の一つは、自動車業界のみに頼るリスクを感じたことだ。万が一品質トラブルが起き巨額のリコールとなった場合、自社で対応しきれない。そしてもう一つの理由が、機械の技術進歩だ。川上にあたる加工設備が急激に進化した時代である。数値入力することで設定上は1μm単位で加工ができる加工機が、手の届く値段で導入できるようになった。こうした新世代の加工機であるNCやNC旋盤を2000年前後に導入していった。

こうして川上川下の加工機を取り揃え、長尾研削では図面を出してもらうと完成品を納品できる体制を整えていった。当時の一般的な商流では、お客様にあたる組立メーカー側で川上の加工業者・熱処理業者・研磨業者をそれぞれ選定し、部品の受け渡しや納期調整などすべて段取りするのが当然だった。お客様からは、図面1枚渡せば完成品になるし納期も短縮するというので非常に喜ばれた。長尾研削にとっても、後工程を想定して材料発注や取り代の設計を行えたことからコストダウンに繋がっていった。

結城社長の事業承継

現社長である結城さんは、大学時代に長尾研削でアルバイトしたこともあった。しかし新卒では長尾研削に入社せず、ジュエリー会社の営業職に就職した。5年勤めた中で気になったのが、会社が大きすぎることだった。提案しても通らない。意思決定する人が誰かわからない。そんなある日、お客様からの信頼もあつく結城さんも「この人についていこう」と尊敬していた先輩が、閑職に異動となった。この話を聞いてすぐに、辞めることを決めた。この経験から今でも、組織が小さかろうと意思決定するトップになることだ重要だと思っている。

1998年、28歳で長尾研削に入社。最初はアルバイトだったがその後正社員となり、朝から晩までものづくりに熱中した。ちょうどNC旋盤や高精度の測定器が導入される時期だった。今では当たり前のようにできている加工も当時はできなかった。お客様が求める形をどうやったらできるか、考えに考えた。仲間やメーカーの担当者に質問しながら手探りで使い方を身に着けていった。

45歳の時、先代から社長を継がないかと声を掛けられ、継ぐことにした。先代には息子がいたものの継ぐつもりがなかったため、技術面で引っ張っていた結城さんに声がかかったのだ。

社長になるまでは、人と機械を集め経営している先代のことは尊敬していたし、いつかもし自分がこの会社の社長になったらと思ったことはあったものの、担当分野であるものづくりから外に口を出すことはしていなかった。